きえもの【番外編】⑦
最後のおでかけ『天津大象老師故居』
皆さんこんにちは、10ヶ月の留学期間は瞬く間でしたが、あれもこれもと買い込んだ品が増えてしまいました。特に本や、茶器は中国でしか手に入らない上に重さもあるので持ち帰るのに頭の痛い問題でした。そこで父に中国へ一部荷物を引き取りに来て欲しいと連絡をしましたが、「おれは個展で忙しい」とそっけない返事。送ることも考えましたが、ワレモノの梱包に自信が無いこともあり、より安全な手運びで持ち帰りたいと思っていたのです。「もう一度北京には行きたい」と言っていた父の事だしなどと考えた結果、以前から聞いていた江口先生の子供の頃のお宅を探しに行くことを口実にすれば?と思い付きました。狙いは的中。それは行かねば一生の不覚とばかり飛行機を予約して上機嫌です(その変わりようはいつものことですが、同じ人間か?と疑いたくなるほどです)。しかし口実などでは済む訳もなく、本来の私の目的など関係なく現実に実行されることです。上手くいかないと異常にすねる父が想像できて考えただけで厄介です。案の定父からは矢継ぎ早に「江口先生に伺うとこんな場所やから調べといてや!」と連絡が入ります。中国のサイトから調べ出しておおよその場所が特定できた頃には朝になっていました。
北京天津間(京津都市間高速鉄道)は専用の新幹線の路線があって、1時間に4本の新幹線が走っていて、約30分で到着します(写真1)。この路線が現在中国全土に走る新幹線の初めての路線です。天津はとても美しい街でこの留学中5回も訪ねました。
天津駅の前には大きな運河がありそこには鋼鉄製の解放橋がかかっています以前は船の航行の際橋の中央から上がる開閉式する橋でしたが現在は出来ないように固定されています(写真2)。対岸には上海の外灘を髣髴する美しい建物が並んでいます(写真3)。
もう一つ天津の見どころは清朝最後の皇帝溥儀が皇帝で無くなった後暮らしていた「静園」です。中華人民共和国になって永らく放置されていましたが、巨額の費用をかけ修理され現在は多くの観光客が訪れます。この日は35℃を超える猛暑でしたが、庭のパラソルの下で冷たい飲み物を飲んでいると風が吹き良い気分でした(写真4)。
変化の激しい中国で思い出の場所に辿り着くことは極めて難しい話です。幸いだったのは、戦前から日本人が天津に沢山住んでいて、カネボウの社員の子弟も当時を懐かしむ人も案外いて、ネット上では再度この地を訪ねたレポートが掲載されていました。いくつかのレポートを検証するとそれらしき場所が見えてきました。今まで色んな場所に行き色々な故居に行きましたが、この『天津大象老師故居』ほど痺れる故居はありませんでした。当時を忍建物は何も残っていなく、ここが故居だと証明できたのはたまたまいた門番のおじさんの言葉だけでした。江口先生が住まれた頃は天津カネボウの工場があり、そのあと天津印染厰という染色工場がありましたが移転し今年の4月に解体されてしまったとのことでした。敷地から望むと線路が江口先生からのお話の通り見えましたので間違いなくこの辺りでしょう。跡地はマンション群なのが少々残念ではありましたが、私はなんとか辿り着けた嬉しさと、初対面の中国人に父がここになぜ訪れたかという事情と、父の無茶ぶり「一緒に写真撮ってくれるように言って」ということを伝えられたことがこの留学中の成果として、父の試験に合格したようで良い思い出になりました(写真5)。
さて今回で皆さまとはお別れになります。書源に連載する機会をくださった江口先生、1年間読んで下さった読者の皆さまどうもありがとうございました。
谢谢大家、再见!