きえもの 155
先生との事③ -西安・洛陽の旅②-
ご近所ウロウロがルーティンの私「あ~麒麟でも来んかいな!」なんて。完全にコロナ禍の餌食だったある日「日帰りで関ヶ原行けへん?」と恭兵。内心「待ってました!」と簡単にOKしたものの、当然旅程はタイト。京都駅で在来線から新幹線への乗り継ぎなど4分弱「鉄チャンの旅はこんなもんや!」と、急かされ着いた関ヶ原は素晴らしい秋晴れの快晴です。街中配置された説明書きに東西各軍の戦況が確認でき、正に「天下分け目の時」を体感できました。古戦場の中心部「徳川家康最後陣地」標石の後方にある「護国霊園」の端正な隷書に見入りました。筆者は陸軍大将男爵本庄繁。号は「剣華」能書として知られ、動乱の時代を生き、GHQから戦犯に指名され壮絶な自決をした豪傑とググって知りました「明治生まれは違うなぁ~」と感じ、身の引き締まる素晴らしい書に遇えた良い1日でした(写真1)。不安もあるけどチョッとはGo Toもせなあかんな~などと。
名所溢れる西安。洛陽への移動の朝城壁へ。これ程大規模で綺麗に保存されているものは他に見る事が出来ません(写真2)。
洛陽には列車で。西安駅前は人で溢れていました。数時間の車中はハードな旅程で唯一ゆっくりした時間でした。車窓から広がる黄土高原と点在する住宅形式の「窰(ヤオ)洞(トン)」に大陸的生活を感じました。停車駅のホームで写真撮影や買い物をしたりと、ローカル鉄道の旅は高速鉄道の整備でし難くなりましたから、貴重で楽しかった思い出です(写真3)。
洛陽は西安とは対照的な静かな街でした。ご存知の通り「上洛する」という言葉の「洛」はこの洛陽を意味する通り、正宗の都。日本にも大きな影響を与えた街です。まずは「三国志」武の聖人と言われた関羽の墓地「関林」に向かいます。何度も読んだ三国志ですから心時めきます。門に掛かった王鐸の文字が際立っていました(写真4)。
早朝から遅くまでの旅程。皆さんお疲れと思いきや、ホテルの前で「長安の月」ならぬ洛陽の月で大盛り上がりでした(写真5)。
写真1
軟らかい中に骨がある。憧れる字です。
写真2
来るたびに大きく変わる西安をどのように感じられておられたのでしょうか。
写真3
数少ないくつろぎの時。
写真4
皆さん買い物大好き。
写真5
寒さと乾燥。それだけに月が輝く。