書具よもやま話 22
墨は磨ろう
忙しい現代人ですから、「墨などは磨らなくてもいいです。墨液でいいです」。これは私の個人的な意見です。今の墨液は学童用の物でも良く作られていて、墨色(黒々しているということで)も良く、表具しても大丈夫です。高級墨液でしたらなお良いことは間違いありません。「墨は病人か子供に磨らせると粒子の細かい良いものができる」というのも。墨液の粒子のほうがはるかに細かいのです。また粒子が細かくなり過ぎると光の反射の関係で黒く見えないらしく、その弱点も補うよう作られています。保存期間も長く1年ぐらいで腐ることなどありません。
ですが、これ程すばらしい墨液なのになぜ磨った墨に負けるといわれるのか、それは磨ってみれば分かることなのです。(たまに初心を思い出すために)私が墨を磨るときは、高校生時代よく磨っていた7吋の羅紋硯を使います。安価な実用硯ですが、磨れているという感覚が手に伝わるので(これは結構力を入れて磨っている証拠なので良くはないのですが)大好きです。ひと磨りする度に水が黒くなっていき、良い香りが広がります。良く磨っていた頃は、45分で磨るのを止めていました。厭になるのも理由ですが、この量で書ける半紙の枚数を一日の稽古量にしていたからです(少ないですね)。
磨っていると生き物のように墨の表面が動くのが分かります。堪らない美しさです。線にその活力が伝わります。時間をかけて磨った墨ですからもったいなくなり、大切に使います。こういったことが作品の気迫に少しは繋がるのではないでしょうか。秋の夜長、お時間を見つけて試してみてください。