中国よもやま話

中国よもやま話 46

― 中国食べ歩き ‐義烏にて③  ―


 改革開放政策前の義烏の街は赤土に覆われ、農作物の育ちにくい環境でした。農民は仕方なくさとうきびを植え、わずかな収入を得るという貧乏な生活をおくっていたそうです。現在は中国一ともいわれる商売の街ですが、天秤棒を担ぎ行商に出、わずかな収入を得ていたそうです。


 少しでも収入を得たいと考えていた人々は街道筋に出店を出したそうです。経済の自由化とともに街に貸店舗が作られました。国家主導では無く、街の人たちの手でここに経済特区を作ろうとしたのです。


 写真1は義烏の新市場の案内パンフレットです。左端にある一区の建物で長さ約500㍍、幅100㍍はあります。右端の四区から一区までタクシーで走っても10分以上かかります。


 写真2は一区の建物の中です。店の間口というかブース幅は4㍍程度大きい店は3ブース程度使っているでしょうか。こんな通りが12列あります。ですから1フロアー全部を見ると500㍍×12列=6,000㍍そして建物は5階建ですから、1日で1区見るのが精一杯。案内してくれた杭州の友人が4日間もホテルを取ったのが良くわかります。


 日本のスーパーマーケットのように一つの通りに色々な店があるのではなく、ボールペン屋といえば通りは全てボールペンだらけです。次号で詳しくご紹介しますが、良いものから不良なものまで何でもあるところです。友人によると「最近は少し不景気だから良くなったほうだ」と言われましたが、店員に愛想など感じません。こんな市場ですから、目的の店を探すのも大変で店の場所案内用のコンピューターが設置されているほどです(写真3)。


 どこの街に行っても食欲旺盛な私。昼ご飯は市場にある食堂へ。店の中では他に日本人らしきは発見できず。写真では分かりにくいですが、「この汚さではなぁ」と思える状態です(写真4・5)。いつもの通り脂ぎったテーブルと椅子を紙で拭き着席。箸も皿も薄っすら膜がはったようにくすんでいますが、目をつぶって食べると「うまい」。どんどん環境に馴染んでいく自分が怖いです。











写真1

写真1
夕方には足は棒のようになります。
ただ、商売上の収穫は無。
写真2

写真2
1フロアー全てがボールペンの店だったのには驚きました。
写真3

写真3
便利そうでしたが、次の日からは故障中の貼り紙が。さすが中国。
写真4

写真4
まずはギョーザ。店内は活気に溢れていました。
写真5

写真5