中国よもやま話

中国よもやま話 117

― 中国食べ歩き ‐古鎮めぐり㊶‐鳳陽
 
 
 昨年末、璞社書展最終日の打上げでのヒトコマ、始まりは隣の副会長佐藤芳越先生「中国よもやま話ってチョットイメージちゃうんちがう。『吉田類の酒場放浪記』よろしく『大璞の中国放浪記』ちゃうの」と。エライこと言い出すものです。前日の祝賀会で読売新聞の菅原先生にあれだけヨイショしてもらってエー気になってるのに早ダメ出しですか?「酒の席でのこと」と一瞬思いましたが、オヤジになっても自分が無い私。人の言葉にメチャ影響されます。席の向かいは山本大悦副会長「先生名前変えたら連番1からですよねえ?ほないつまでたっても『らんだむ・のおと』の記録に近づけませんがなと大胆発言」大悦先生曰く、「番号は続けたらエエがな」と。それなら野壺村にはまったこともあるし、この機にまずは『中国放浪記』とサブタイトルを改名!益々放浪します。

 「鳳陽には凄い墓がある」もちろん曹さんの話。斯が受売りで私に説明します。見事な鼓楼に見とれ佇んでいるのに急かします。「墓って何時まで?」と聞くと「17時」と。しかし既に17:30過ぎ「いけるの?」と聞くと「北條さん次第よ」と意味深な返事。到着した明皇陵(写真1)朱元璋の両親の墓です。入口のその雰囲気に態度一変の私。早速門番に交渉する斯「ワザワザ日本から来たんです。道が混んでて」などといつもの適当な話。拝みたおす私。思わず門番に100元札握らしていました。そのあたり分かりやすい人民「じゃあ今日は陽も長いし、暗くなるまでね~」ということで無事交渉成立!

 皇帝朱元璋は農民の子。そんなことが知られてはなりません。ですから昔を知る幼馴染や広範囲のご近所に知り合い親戚まで殺しまくります。その挙句皇帝の親は皇帝でなければなりませんから、大規模な墓を作って「俺は正宗!皇帝だぜ」とがんばらなあかんかった訳でしょう。

 2㌔を越える参道の両脇、石像が迎えてくれます。南京の明孝陵を髣髴させる墓が、こんな田舎に知られもせずあるのも、この国の恐ろしさ。参道の途中にある「無字碑」両親は字が読めないので、文字が彫られていない珍しい碑です(写真2.3.4.5)。
 
 
 

写真1

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遺跡のためか、周辺は舗装無し。
写真2

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見事な石像が迎えてくれます。
写真3

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文革の名残か?石像には破壊の後。
写真4

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文字の無い「無字碑」。
写真5

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祭壇後方の林がお墓です。