中国よもやま話

中国よもやま話 108

― 中国食べ歩き ‐古鎮めぐり㉜‐揚州
 
 子供の頃住んでいたのは連棟建ての家。俗にいう2戸イチというやつです。戦前に建てられた木造平屋。明治生まれの婆さんがへっついさん」(かまど)でご飯を炊いてくれてました。隙間風がひどく、その上暖房器具は練炭火鉢。どうしてこんな酷い環境なのかと親を疑いましたが、近所を見ても朝、家前に練炭の燃えた後の灰が出されていて「うちだけではないな」などと妙に納得していたものです。家と家の間には路地が迷路のようにあって、路地で魚を焼いたり洗濯したり、どこの家の中も丸見えで、子供だらけで賑やか、平和な時代だったのでしょう。今は高齢者中心の集落となり、正に街中古鎮です。昔と変わらぬボロ屋は、我が社の倉庫として使っているのですから、木造家屋は丈夫なものです。
 
 揚州市中心部の人口は約120万人(全体では約460万人)。江蘇省の省都南京に次ぐ大都市。鑑真や江沢民は揚州人。知らない方はいないでしょう。そんな都会のど真ん中。パソコンビルの裏通り、昨夕揚州美人と遊べなかったツレが「ここはもうすぐ壊されるだろうから見とき」と連れてこられました。揚州周辺ではこんな通りのことを巷と呼んでいます。巷には写真1の「長生」のように名前が付いていて、写真のような立派な看板式のもあれば、壁に直接書いただけのもの等、色々で見ていて飽きません。
 
 雑貨・理容・麻雀店(写真2)巷からは生活の匂いはするものの人影はまばら。商店らしい所もほとんど閉まっています。ツレに聞くと「若者は通り向こうの古いマンションや、市内周辺の新築マンションに住んでいる。どうしても良い生活となるとこの辺りの家ではできないからな」とのこと。住んでいるのはやはり高齢者が多く、核家族化が進んでいます。
 引き込まれるような老朽家屋。「湾子街210号民居」清末から民国初めごろの建物。揚州市の文物保護の指定?は受けているようですが、張り紙には「危険なので気を付けて」的な事が書かれています。家先で練炭に火をつけているところなど、冒頭の時代を思い出します(写真3,4,5)。我がボロ屋は昭和10年築。この長屋は明治の末頃築か?共にもっと長く頑張ってほしいものですね~!
 
 

写真1

写真1
ホーロー製の看板は高級品。

写真2

写真2
開いてるの?雑貨店。

写真3

写真3
100歳を超えるこの風格。

写真4

写真4
保護しているようでしてない張り紙。

写真5

写真5
練炭は簡単に火が点かんのです。