中国よもやま話 106
― 中国食べ歩き ‐古鎮めぐり㉚‐高郵
高校時代一生懸命書いていたある日、耳にした言葉が『文人』でした。アホを売りにしているのに、人並みに縁遠いものほど憧れるものです。地元大阪南部には大鳥大社があり、神官であった頃の富岡鉄斎の作品が、土地柄チョットお金持ちの家に行けば必ず有りまして、興味を持ちウロウロ。その大胆で力強い作風に魅了されたものです。とはいえ何ら影響を受けたわけではありません。ただ眺めていただけです。その後中国の文人を知るようになるのは、もう少し後になってのことで『俺も文人になりたい!』などという神をも恐れぬ思い(だけ)持ったのは事実です。
揚州市街では立派な筆文字の看板等を沢山目にします。呉昌碩等後の江南文人にも大きな影響を与えた揚州八怪(揚州に住む八人の化け物のことかとかなり長いこと思っていました)が生まれた風土がそうさせるのでしょうか。「文遊臺」この名所は揚州近郊の街である高郵を訪ねるまで知りませんでした。これも今回輪タク兄ちゃんのお手柄。「ここに行かないで帰ったら笑われるぜ!」着いて唖然。その広大な庭園と威厳に満ち溢れた建物に立ち竦みました。北宋太平興国年間に建てられたとされる文游臺は、後年幾度となく修復されたようですが、揺るぎないその風格から、高郵人自慢の名所です。
門を入ると真正面に、雨に濡れた北宋時代の詩人で蘇軾の門人、進士で高郵人の秦観像が迎えてくれます(写真1)。蘇軾がこの地を訪れた際、秦観を訪ねた程評価していました。また秦観の師であり、黄庭堅の岳父で同じく高郵の進士孫覚。同年代で交流のある王鞏。3人と蘇軾を合わせ「高郵の四賢」と呼んでいます(写真2)。文人好みの庭園からは船で運河にまで出ていくことができ、4人が文学や画について大いに語り合った光景が目に浮かびます(写真3)。
写真4は文游臺の内部。高台に建てられた2階建の部屋からは最高の眺めです。興奮状態の私。思わず気分だけは文人。あまりのアホさ加減に中国のツレ「北條さんも入れて高郵の五賢ちゅうことにしよか?」とヨイショ。私「ウン!そやな」と記念撮影(写真5)。夜も静まらぬ興奮にそれはヨ~飲みましたこと。
写真1
霧雨が雰囲気を高めます。
写真2
流石超文化圏。集まる面々が凄い。
写真3
庭のどこからでも秦観像が見えます。
写真4
四方を窓とバルコニーに囲まれています。
写真5
「遺影にしたろか?」我が家の会長談。