中国よもやま話

中国よもやま話 1

 経済大国の仲間入りをした中国は猛スピードで変化を続けています。しかしながら、そんなことは経済特区だけの話で、農村や少し田舎に行けば、貧しく劣悪な生活をしている現状が大半で、全ての人民の平等を目指した中国共産党の初志とはかけ離れたものと言わざるをえません。


 もう中国の都会は日本と変わらない近代的な環境になっていますが、少し田舎に行けばまだまだ日本の方には興味深い生活の姿があります。


 このページではだんだんと無くなっていく中国の生活風習や、街角の風景。庶民が普段食べているものや遊びに行く場所など、きっとご旅行で皆さんが訪中されても、目にもとめていただけないことをご紹介できればと思っています。


 さて、新年号に載せていただくには夏の話で申し訳ありませんが、その点は大陸的で大味な私の仕事ですから、お許しください。


 写真は江蘇省南部の田舎町です。農暦(陰暦)の七月一五日。二〇〇六年は八月八日でした。お盆です。中国の呼び方は「中元節」とか「盂蘭盆(うらぼん)節」というのが正式な呼び方なのでしょうが、中国の人たちは「鬼(き)節」と呼んでいます。農村地域での小さい工場ではこの日はお休みですが、都会では休みではありませんから、都会の人には縁遠くなっているというか、消滅してしまったのかもしれません。門の前では黄色や銀色の紙を燃やしています。(写真1)黄色の紙は、昔のお金が黄色い紙でできていたことからお金の代わり。銀色の紙は銀子の代わりで、道や家をご先祖さまに守ってほしいとの願いおからです。


 家の中では火鉢の中で同じように燃やします。(写真2は、黄色い紙と銀色の紙が箱入りになっているものをそのまま燃やしています。売ってもいますが、安いものです)


 食卓にはご先祖さまに供養の料理を並べます。(写真3)左上は魚(日本では生臭物は出ないでしょうが)の煮物。左下は豚の煮物。右上は寒天料理で右下は庭で取れた青菜と豆腐の煮物です。必ず四品は置きます。料理の数はよその家はしりませんが、この家は決めているそうです。(儀式が終われば食べるので、家の裕福さで料理の品数は違うかもしれません。ちなみに燃やしてでた灰は各自畑に捨てて終わりです。


 儀式は午前中に終わりますが、日本のようにお経はありませんし、お坊さんもいない簡単なものです。不思議に思われるかもしれませんが、中国では日本ほど強く宗教としての仏教が根付いていないようすで、これもきっと土着の信仰ではないかと私は思います。


 午後からはお墓にいきますが、線香も大きいサイズのものを持って出かけます。都会ではお墓が作れなかったり、そうそう街で物も燃やせませんから、このような習慣は無くなるしかないのだろうと思います。

写真1

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写真2

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写真3

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